自然が好きだというと、たとえば公園とか庭は自然ではなく人為的に作られたから、それは違うという方もいる。
広辞苑にも「天然のままで人為のくわえられてないもの」とある。
その通りといえばそうだけれども。
その人為的に加えられたものから、自然と集まってくる生きものも「ある」
となると、それは自然?ではないのか。
そして、人間は自然の中に加えてもらえないのか?
と考えてしまう自分がいて。
僕は、堂々と庭でも公園でも、屋上庭園であろうと
「自然がある」
と感じるようにしている。
人為的に作られたその当時は違うかもしれない、しかし経年が経つにつれて
それは自然になると思っている。
雨が降り、風にあたり、土に触れ、光にあたり、生きものが集まり、緑が増えて・・・
人がそれを感じる。
なので、それも踏まえた上で、お庭というのは
外気の触れた人為的に作られた自然が「心地よい空間」と変化していき
それは人々にとっての自然である。
僕が手入れをする際は、自分の考えよりもお客様がどんな感じにしたいのかを大切にしている。
ゆえに、自分の実力不足で上手くいかない事もある。
得意でないことは、隅々まで綺麗にする事や完璧に真っすぐな生垣や丸くする事。
技量のなさが大きくあるのだけれども、あまりそこに固執したくないという事もあって。
考え方の中に何かしらの余裕を残したい
という事もあるからだと思う。
手描きの突っ込みどころを多くいれたチラシを配ったり、ホームページもゆるい感じを出しているのは
話しやすい雰囲気と共に、かちっとした古風な老舗な植木屋ではなく、今風なオシャレな庭園を造るとでもない植木屋という事を感じてほしいからである。
今あるお庭の中で「居心地の良い空間」を自分の出来る力量で精一杯作っていこうと思うという決意でもある。
昔、古本屋で見つけた
僕の母校の東京農業大学が出版していた
「園学」のすすめという本を
読んだのだけれども。
面白かった。むだんと名乗る仙人のような風貌で数々の園を仕上げた造園家「野澤清」さん。
そこの中に
「園とはもうひとつの幸せを感じる外光の中の時と場所」
と書かれていて。
庭と園についての考え方や歴史を独自の考え方著している。
魅せるための造園を考えるのではない、居場所としての空間を大事にして考える造園家
の哲学を知ることができ、そして自分の中の何か考えを深く練りながら
仕事に取り組めたらなと思った。
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